アジア美術展:福岡市立美術館が企画・主催してきた、アジア美術の総合展覧会。このトリエンナーレの雛型となったもの。
ミュージアムシティー・プロジェクト:福岡市内の美術愛好家たちによるNPO形式の都市展開型国際展覧会。

アジア美術という新領域は開拓されたのか?
第1回福岡アジアトリエンナーレを訪れて・・・

1999/07/30 福岡市

福岡アジア美術館 が開館し、アジア美術展から模様替えして初めてのトリエンナーレ(開催は1999年3月6日から6月6日)。美術館が持つファシリティーと周辺のコミュニティーを活かす「建物の中に閉じこもった美術館ではない新しい美術空間としてのアジア美術館」(後小路雅弘・福岡アジア美術館課長 )への野心が溢れるとともに、アジア美術館開館以前より、アジア美術展ミュージアムシティー・プロジェクト など、在アジアの芸術家とともに福岡市を舞台に取り組んできた、都市を巻き込んだプレゼンテーションの一つのマイルストーンといえるものであった。

 


スーパーブランドシティー(上写真):福岡市博多区の歴史的商業地域の再開発ゾーンである博多リバレインのビルの一棟にある地元主導の大規模ショッピングモール。1999年3月に福岡アジア美術館と同時にオープン。特徴は一流ブランドの販売店の1ブランドあたりの床面積が異様に大きいこと。例:日本一の床面積のルイヴィトン(当時)。斜陽の商業地域である川端・中洲に存在しているため先行きが心配。お休みにはドブ川沿いの「カフェ・デプレ」がお勧め?(ちなみにここのデプレにはインターネット端末が無い)


1階にある入り口。エレベーターで上がる。まるで外資系企業の受付みたい。

 

アジア美術をコンセプトにしたテーマパークの誕生か?

→ 「スーパーブランドシティー」 の中の美術館、そのアンバランスさはまるで、百貨店の中の美術館みたいとの揶揄もあるが、博多リバレイン の最上部に陣取る美術館は空中庭園の上に聳え立ち、高山の森林限界の上に聳え立つ山頂のお花畑の趣がある。
 大手広告代理店の地域支社を収納するだけあって、最新のインテリジェンス仕様であるリバレインに位置することは、特にアジア故に様々な表現が生れている電子芸術や情報通信ネットワークを用いたプロジェクトをもスムーズにかたちにすることが出来る、(NTT-ICCIAMASみたいに)メディア芸術に特化する芸術施設ではないにも関わらず、情報コンセントの整備など、シームレスなプレゼンテーションを可能としているように見受けられる。見る者にとって、例えば、複数の端末をクライアントとして用いた Xu Bing (US/CN) のインスタレーション ( 「お名前は?」アルファベットで文字を入れると英文文字を部首化して漢字風にコンピュータが自動生成。さあ、ローマ字であなたのお名前を打ってみよう。) において、幾ばくかのLANケーブルの存在のみが作品以外に目に付くだけなのだ。また、複合施設故に、美術館そのものが厳しい建築意匠に縛られないことが幸いして、床面積が狭いながらも、柔軟な展示を展開することを可能としているように見えた。

 これらの現在存在するであろうほとんどの芸術表現形態を柔軟に展示できる会場にて展示された作品群を巡ることは、空調の面においても、導線の短さにおいても、殊の外、鑑賞する上で、快適なものであった。
  しかし、その快適さ故に、30分超で回りきれ、まるで、テーマパークのアトラクションを体験したかの様だった。そう感じさせる故に、一つ一つの作品に対して深く接したり、思いを巡らす何かしらの引っ掛かりをもたらしてくれなかったことに物足りなさを感じる。
  一つ一つが何時間でも見ておきたいものなのに、どうも、落ち着かないのだ。展示空間として整然としていたり、要所におられるボランティアの方の親切さ故に、一人で作品とただ邂逅し難かったことが残念であった。
  例えば、Navjot Altaf (IN) の「もうひとつの実践方法−世界をいかに作るか」 (バスタール地方の女性職人たちとの共同制作による、木の丸彫りによる像群。インドでは地の色で展示されていたが、福岡で真黄色や青にまるまる、塗り替えられる。それがなんともなくより一層、きもかわいさを引き立てる。 ) の像たちとは同じ目線で寄り添いたかったのあるが。

 展示部分は総じて、1時間以内の目くるめく体験の提供は、もはや長い時間にわたって集中することが出来なくなってきた、現代日本人の感性には心地よく、また、アジアというコンピレーションアルバム的なコンテクストがうまいミックス感を与えてくれるという点でとてもエンターテインされたものである上で、アジア美術というものに対して、曖昧なシンパシーを訪れる者(福岡市民であり、福岡に何かを求める者)に与えるという意味で、アジア美術館のある種の成功の可能性を見た感じがするのであった。

 

 


Amanda Heng のプロジェクトより




PoPo のパフォーマンスの現場より

 

福岡アジア美術館という機能の真価と魅力を垣間見た
交流プログラム

→トリエンナーレを媒介にして、アジア美術館の魅力であり、得意技であり、私が深く感銘したのは、入場料を払わない部分である、交流プログラムの部分であった。

 私が実際に立ち会ったのは、Amanda Heng (SG) の「もやしのひげを取りながら対話をするプロジェクト」とPoPo (MM) のパフォーマンス。

 Amanda Hengのプロジェクトは、美術館内のパブリックスペースの一角で行われ、幾つかのお茶のみテーブルの上に、もやしが盛られ、まさに団地のコミュニティースペースを思わせる趣の中で参加者たちがもやしのひげを取りあっていた。
 作家であるAmanda Hengの指示による所作には見受けられず、まるでもやしのひげを取りあうことで自然と卓を囲んだ人との間に接点らしきものをひげを取る者に思わせる所作は、Amanda Hengが望んだ意図にまさにはまってゆくかのようであった。
  このプロジェクトを活気付かせる存在として、ボランティアの面々がそれぞれと同じ世代に「寄って行きませんか」と率直に誘っていることがあったのではと思われる。
  Amanda Hengが意図する、関係としての芸術表現をサポートするかのような、その自然な率直ぶりはプロジェクトをプロモートする上で、とてもよい効果をもたらしているように見えた。本当に、もやし取りの場が楽しそうなのですもの。作家が時々、相手にしてもらえない位に、自然な環境で。

 内容そのものが素晴らしかったものの、複雑な気持ちを残したのが、PoPoによるパフォーマンスであった。喫茶ゾーンの横にあるオープンスペース的な所で行われたパフォーマンスは厳かであるとともに、ミャンマー(ビルマ)では禁断である「パフォーマンス」という行為を行うということもあり、鮮烈でかつ、行為そのものから沸きあがる何かを感じさせるものであった。
  このような場を対峙することが出来ることそのものこそ、福岡アジア美術館の卓越性であったが、ミャンマー(ビルマ)の事について、関心をあまり持つことの無い多くの観衆やその背後にいるこの催事の情報に触れることの出来る人々に対して「湧きあがる何か」を個々が掴むことが出来る感受性のアンテナとなるべき工夫が成されなかったように見受けられた事が残念であった。
  パフォーマンスの後、PoPoと参集者との対話の時間が持たれたが、PoPoそのものが多くを語らぬ人物であったため、論議が深まることもあまり無かった。
 例えば「なぜパフォーマンスにを色として、そして、言葉として多用していたのか?」とのある参集者の問い掛けに対して、PoPoは「がミャンマーではデモンストレーションとして用いることを禁じられている色だから」とのみ語る中で、もし、ミャンマーが仏教至上のお国がらで、ビルマの仏教僧の袈裟の色がであって聖なるものであるとか、ミャンマー政府の社会統制が政治的な部分以外においても厳しいものであるということとかが、参集者の頭の中にあったら、パフォーマンスに対する個々の解釈が深みのあるものとなったり、PoPoの一言で多くの考えを持つことが出来ることであっただろう。

 美術展であるから芸術の部分にのみ、光を当てればいいのではということもある。
  しかし、個々の見る者や影響が及ぶ範囲の人々が、アジア美術に対する理解を深めるためにも、それぞれの芸術を取り巻く社会や文化の環境についての理解が促されるような仕掛けがあってもいいように感じられるのだ。
  「美術館を超えた存在」を希求するならなおさら、ジャーナリストや社会科学・人文科学者など、社会や文化環境に対する理解を深めさせてくれる「翻訳者」とのコラボレーションが周辺にあってもいいように思われた。
  アジア美術館にとってのドメインを確立し続けるためにも、芸術家の立場を尊重するためにも、ここの部分は内在するする必要は無いのであるが、トリエンナーレを巡る周囲に、トリエンナーレの取り組みと同じ真摯さで、ただの「国際交流」にとどまらないアジア理解の批評空間を盛り立てるとともに、参加者にとってのリファレンスとすることが出来ればと感じざるを得なかった。

 福岡アジア美術館の開館準備時期と期を同じくして生まれた、海外における新領域開発型の芸術施設の多く が、芸術空間であるだけでなく、社会科学・人文科学の批評空間であり、機械・電子工学における開発の現場であり、これらが相互に結びつくことで現在の人類が直面している諸相の解決を取り組む現場として機能し始めている。(その例へのリンク ) これらの取り組みはまさに超美術館の発想であり、それは展示空間を超えた、コミュニティー、ときには人類にとっての表現空間として効果を生み出しつつある。
  福岡アジア美術館に対しても、アジア美術という新領域に向けた先駆者であり、インキュベーターとして、機能し続ける上で、美術を通じて影響を及ぼしあう周縁の存在との間でも刺激しあえる回路が自由なかたちで生まれる、拡大再生産し続けることをつい期待してしまうのである。

「翻訳者」とのコラボレーションが周辺にあってもいいように
→余談ではあるが筆者が、1998年の開館準備期間に、朝日新聞120周年記念フォーラムのためのビデオジャーナリズムの手法を用いた基調映像(アジアプレス・ナショナル制作)のための取材協力依頼を、アジアと地域との接点のケースとして問い合わせたところ、取り合って頂けなかったことが印象としてある。

 


PoPo のパフォーマンスを未に来たある家族の乳母車には「アノワール(元マレーシア副大統領)に正義を!」とのピケが・・・

 

 

 

 

→トリエンナーレは、アジアの諸相を私的関心やビジネスを通じて幾ばくか知っている私にとっては、まさに芸術作品やプロジェクトを通じて、テーマである「コミュニケーション:希望への回路」という視点を愉しみ、思いを馳せることが出来て殊の外満足であったが、先のPoPoの例で触れたように、日本以外のアジアに対する広範囲な関心や批評眼を持たぬ者にとってはまさに、コミュニケーション不全ともいうべき、単なるおしゃれめずらしものの文化テーマパークになってしまったように見えて残念で他ならなかった。

 訪れる者にとって、まさに「コミュニケーション:希望への回路」(今トリアエンナーレの主題)が生まれ、もしくは触発されますよう、福岡アジア美術館という新領域への挑戦の次の手に期待してやまない。

 

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取材・編集・デザイン:岡田 智博  futurepress@coolstates.com

 

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