November 10, 2003

総選挙 民主圧勝のマスコミ読み違えは一般のマスコミ批判の表れか?

 昨日、衆議院総選挙の投票と開票が行なわれた。
 興味深いのは、最初、出口調査とかいう方法の結果、民主圧勝と自民敗北を盛り立てていたのに、実際には前回の衆議院議員選挙の議席数よりも自民党は上回り、自由党との合併数によるレスポンスからそんなに飛躍的に票が伸びなかった。いわば、想定したことと較べて、自民は勝利、民主はは望みよりも下回る「勝ったが負けた」結果になったのだ。
 それでも、マスコミは、民主の勝利と自民の敗北と書き立てるのだ。

 出口調査とは、メディアから委託された調査員が、投票を済ました人に誰に投票したかを聞くもの。
 民放や新聞の多くは、こぞって、民主党よりの論調による、まさに「トレンド」としての「マニュフェスト」(この言葉も民主党が輸入した)選挙を、話題として盛り上げ、好意的に取り上げた。
 マスコミは情報発信力という強大な力を持っている。そんなマスコミの報道に触れ、また、力ある存在だとみているマスコミに聞かれて、自民党を入れた人が答えようとするであろうか。テレビも新聞も民主党一食なのに。
 私や私の友人の多くは、そんな場合、答えないし、うそを答える(さすがに又吉イエスに入れたとは言わないが)だろうとのこと。 ※又吉イエスについての説明はこのリンク

 メディアとしての取り上げ方のバイアスとそれによる読み違えが、現実と異なる結果を先に出してしまったのであろう。そのメディアの現場の中だけのバーチャルな結果と分析が頭に残り、本当に数の上でより強くなった自民与党という現実を認めないことには、報道に対する信頼性離れがより増えてしまうのではないのだろうか。
 ただの取材者でありながら、政局などというものを作っているかもしれないと考える思い上がりは、そのメディアに従事する人の多くが考えている、自民党の失墜よりも、よりリアリティーのあるかたちで自分たちの失墜を招くように思えてならない。