December 20, 2008

「アルスエレクトロニカ2008」レポート

文・写真=岡田智博(クリエイティブクラスター理事長・アートプロデューサー)

毎年9月の始め、テクノロジーアートに発想とヒントを求める人々が中欧・オーストリアの地方都市・リンツに世界中から集結する。この時期、電子芸術とそれを取り巻く社会や文化の可能性を最新の取り組みから紹介するフェスティバル「アルスエレクトロニカ」が開催されるからである。
先端テクノロジーが刻々とライフスタイルを変える現代において、そのテクノロジーの可能性を逸早く現実に見せてくれる手段として、アートの創造力が重要なものとなっている。そのような注目される存在にメディアアートがある中で、実際にはその最新の作品を一度に見る機会が世界を見渡してもほとんど存在していないのが現実である。その中において、アルスエレクトロニカは1970年代末より約30年間にわたり脈々と大規模に紹介し続ける稀有な存在であり続けている。
ここでは、今年も9月4日より9日まで約1週間にわたり、盛況に開催されたアルスエレクトロニカのフェスティバルの模様を紹介。そこから生まれているメディアアートの可能性を紹介したい。

※ 恒例のアルスエレクトロニカレポートですが、現在、サイトデザイン更新中のため、写真入りの編集版は「クリエイティブクラスター公式サイト」での掲載http://creativecluster.jp/2008/12/post-38.html )にて御覧ください


電子芸術のシンボル「アルスエレクトロニカ」

一言で「アルスエレクトロニカ」と語られることが多いが、アルスエレクトロニカはリンツに根差しながらも世界と交流する4つの顔を持った存在である。ひとつはこの9月初めに毎年開催するフェスティバルとしての「アルスエレクトロニカ」、もうひとつは世界中からこの年の最先端のテクノロジーによるアートや文化の表現を顕彰し世界一を決めるコンテストである「Prix Ars Electronica」。そして、フェスティバルの成果をもとに誕生した未来の可能性をアートの表現で体験できるミュージアム「アルスエレクトロニカ・センター」と、最先端技術をアートの創造力で様々な試作品や実用に変える開発研究所「フューチャーラボ」である。
これら「アルスエレクトロニカ」の事業の中でフェスティバルは、世界で最も伝統があり、大規模な電子芸術祭として、世界のメディアアートのシンボルとして、そしてリンツという都市、今やオーストリアの先端性のシンボルという存在になっている。

フェスティバルの期間中
リンツの街全てがハイテクミュージアムに変わる

ヨーロッパの大河ドナウが街を貫くのどかな都市リンツ。人口30万人超のさほど大きくは無いが活気のある街は関西ではさながら大津といったところだろうか。
フェスティバルの垂れ幕やインフォメーションセンターで彩られた、ヨーロッパの街の中心部に必ずある中央広場を通り抜け、ドナウ河畔に出ると、フェスティバルを彩る様々な「舞台装置」を一望することが出来る。滔々と流れるドナウを挟み、まるで北京オリンピックの水泳会場のように建物全てが色とりどりに変化する現代美術館。その対岸には30周年の節目を迎え今までの2倍以上の面積で改装工事中の「アルスエレクトロニカ・センター」。そしてメイン会場となるこの街が誇る音楽家の名前を冠したコンサートホール「ブルックナーハウス」といった主な会場となる建物が目に飛び込んで来る。
遠くに見える「ブルックナーハウス」の辺りから何やら音が聞こえて来る。
よく見るとホールの周辺の芝生が蒼々と気持ちがいい河原を取り囲んでたくさんの巨大なスピーカーが空中に吊るされている。最大25万ワットまで構成できるフェスティバルの期間中のために特別に毎年設置されるオーディオシステムである。この巨大なオーディオシステムを用いてフェスティバルの期間中全てにわたり多彩な電子音楽のプレイが昼夜を問わず繰り広げられるのだ。
「舞台装置」は街の中にも展開される。
教会の前の小さな広場。そこには一面に砂が敷き詰められてまるでビーチのような風景。「ビーチ」を取り囲むのは海の家ならぬアートの家。トラックハウスを用いた様々なブースに世界中から集められた若手作家やグループの瑞々しい作品やプロジェクトがわいわいと展開される。その横の路地を抜けると大規模開催工事中のためにショッピングセンターを間借りして仮オープンをしている「アルスエレクトロニカ・センター」の未来ミュージアム、そして世界中から集まった「Prix Ars Electronica」の今年の優秀応募作品を一堂に公開する上オーストリア州立ギャラリーの「OKセンター」に辿り着く。
「OKセンター」は展覧会だけでなくフェスティバルを目当てに世界中から集まってきた若者や芸術家の卵が集う場所になっていた。ギャラリーの地下につくられた、谷底にあるようなオープンカフェでは昼夜を問わず比較的安価なフードが提供され、バックスペースには出展作家やスタッフが安く滞在できる宿泊の場が提供されている。夜空の下の広場で展開されるデジタルアニメーションの上映会など、展示だけではない交流空間がそこにはあるのだ。

街の中心部の辻々に存在する大学の校舎
そこも「舞台装置」に

中央広場に面した美術学部の校舎。そこではフェスティバルにあわせて毎年、世界各地の電子芸術による先端的な創造活動をしている大学が招待され、その成果となった「作品」がCAMPUSというイベント名で校舎全てを使って展示される。今年はCAMPUS企画で初めて、美術大学でなくテクノロジーを中心とした総合大学の展示として東京大学の大学院が招待された。仮想現実やインタラクティブ技術など日本が得意とする研究分野を実際にプレゼンテーションするためにメディアアート的表現を積極的に活用している東大の創造力が単なる芸術だけではないメディアアートの可能性を見せてくれることを評価されての展示である。大学の中庭でゴーグル型のディスプレイをつけると古の飛鳥京が実寸大の感覚で出現したり、マントを被ると背景のドナウ河と溶け込んでしまう「光学迷彩」など、あたかもそこが東京大学で行われる研究公開のようなひとときの出前空間が現出するのだ。
経済系の学部では、電子芸術やそこから得られる発想がいかに産業に結びつくのかを経済人に対して情報提供するマラソンセミナー「ミッションフロンティア」を開催。ドイツ語圏を中心とする欧州各地から集まった事例を持ったビジネスプレーヤーがそのビジネスモデルを解説、同じくドイツ語圏を中心とする欧州各地から集まったビジネスエグゼクティブや行政関係者、ジャーナリストとの間で意見を交わしたり、情報交換を行う風景が展開された。例えばドイツの携帯電話事業者であるボーダフォンの研究開発エグゼクティブが、なぜアルスエレクトロニカの研究所と共同開発をするかを説明「会社の中にある研究資源は優秀であるが、全く新しいアプローチや最新の技術を取り巻く社会トレンドに追いつかない。しかし、常に社会と創造性の視点からテクノロジーを創造するアルスエレクトロニカの姿勢から得られるものが多くある」という、具体的な研究として「一般ユーザーでもある優秀なプログラマーが自由にボーダフォンの携帯電話とネットワークを活用したオープンソースなサービスを展開する、すなわちユーザーが携帯電話サービスを開発し、取り入れる仕組みづくりを『フューチャーラボ』と共同で開発している」と発表するのである。

このようにアルスエレクトロニカのある一週間は、リンツの街に電子芸術と先端文化が世界中から集まるための舞台づくりが行われており、その舞台において最先端の情報収集や欧州だけでなく世界中から集まるエキスパートとのコミュニケーション、そしてその出会いから生まれる新たなプロジェクトの開発の機会を求めて、そしてそのような多彩な最先端を居ながらにして市民や若者が簡単に触れることが出来る場の楽しみによって、まるでメディアアートの都のような熱気にリンツは包まれて行くのである。

Prix Ars Electronica 2008年の特徴
メディアアートはよりおしゃれなエンタテイメントになる

さて今年の「アルスエレクトロニカ」の特徴。それは世界中から応募された作品コンテストの優秀作品の多くがそのまま「おしゃれ」なエンタテインメントビジネスとつながるものであるということだろう。
Prix Ars Electronicaと名づけられたこの世界電子芸術コンテスト。Prixとはグランプリ(F1 Grand Prixなど)のPrix。日本語に例えるとアルスエレクトロニカ賞といえば意味がわかり易い。メインの主催はオーストリアの国で唯一の地上波放送会社であるORFオーストリア放送協会の上オーストリア地域放送局それにアルスエレクトロニカ社が共催となっている。もともとのアルスエレクトロニカのアイディアはこの地元地方局のディレクターが30年前に提唱したものからであり、テレビ放送とアルスエレクトロニカは密接な関係を持った存在である。

アルスエレクトロニカ賞の目玉である、インタラクティブアート部門のトップ入賞者はまさにそのエンタテインメントとつながるトレンドを物語るものとなった。

銀賞を受賞した"Absolut Quartet"。
この作品はきらびやかでかつおしゃれな雰囲気をブランドイメージとしているアブソリュートウオッカのキャンペーンのために生み出されたもの。
アブソリュートのためにアーティストがつくり出す不思議な装置「アブソリュートマシーン」。その一つであるアブソリュートカルテットは楽器である。
インターネット上にある特設サイトに接続し、キー操作でニューヨークに設置された「楽器」を遠隔で演奏するもの。ボールが飛び跳ね様々な道具を鳴らし、たくさんのウオッカグラスがハーモニーを奏でる、不思議なマシーンのオーケストラは音楽だけでなく、その動きそのものが美的感動を感じさせる。
ニューヨークに設置された不思議で美しい「機械」は、存在そのものが流行に敏感で美的な刺激を求める最先端のニューヨーカーの興味を掻き立て、そしてネット上のある世界中の人々が演奏する楽しみやその演奏そのものをネットを通じて鑑賞することで美的好奇心を高める。
まさにメディアアートだから出来るリアルとバーチャルが融合したクリエイティブなキャンペーンの最先端だ。

同じく銀賞を受賞した、今最も注目されている日本人メディアアーティスト平川紀道の受賞作は"a plaything for the great observers at rest"。天動説に基づく天文情報と地動説に基づく天文情報をコンピュータ上に入力、昔の天球儀のような特殊な装置で操作しながら、その装置のまわりに没入するかのように投影された天動説と地動説の間にある情報のゆがみを探訪する作品。コンピュータの計算によって生まれる情報から生まれるありえない世界を繊細なグラフィックで表示する平川の作品は、その操作装置の操作性の爽快さやその反応にある情報の海についつい没入してしまう美しさに魅了されてしまう。
美しき情報の海への没入。その新たな美的体験は、新たなイメージを与えたい、ラグジュアリブランドにとってのメッセージにもなっている。昨年の世界最大のデザインイベント・ミラノサローネにおいて、トヨタはレクサスのブランド訴求パビリオンの会場を平川がつくりだす情報の海の投射で包み込んだ。
サイバー時代における、コンピュータからの情報が生み出すあらたな直感的な美が、新たな美的な刺激となってブランドを彩るのである。

直接的にエンタテイメントに結びつくだけでなく、密かに騒ぎを巻き起こすいたずらチックなエンタテイメントが金賞を受賞した"Image Fulgurator"だ。
"Image Fulgurator"は一見するとプロのアートか報道写真家のような大筒の望遠レンズにがっちりとしたカメラに見える。しかしこの「カメラ」は撮影するのではなく、仕組まれたフラッシュを通じて、まわりの人々が撮影する写真に存在し得ない光の模様を投射する装置。
米国大統領選におけるオバマ候補がベルリンで大規模集会を開催し、世界規模でニュースになったとき、作家のJulius von Bismarckは報道関係者席に忍び込み、オバマ候補の演台に密かに光の十字架を投影してしまった。ときには天安門広場の毛沢東肖像画に光の鳩を投影、ベルリンでは報道写真家を当惑させ、北京では縁起を担ぎたがる中国の人民を混乱に陥れた。ビスマルクはこの作品は政治的なものでないときっぱり言う「写真として映し出されることによって真実をとらえたとするメディアに対して試みた『いたずら』ということかな」。

メディアアートで楽器もエンタテインされたものになる。
デジタルミュージック部門の金賞を受賞した"reactable"。
電子楽器の回路として機能する電子ブロックのような四角い小箱を並べ替えることによって音楽が奏でられるこの「楽器」は、ゲームやスポーツ感覚で箱をダイナミックに動かすことで次から次へと新たなビートを送り出す。
この「楽器」を操作するプレイそのものが即興のミュージックライブを伴ったパフォーマンスであり、アートを操作する行為そのものが、ときには一人で遊べるプレイであったり、ときにはエキサイティングなライブコンサートプレイになるのである。
開発以来、世界最大のテクノミュージックのフェスティバルであるソナー(バルセロナ)で熱狂的なライブを成功させたり、ビヨークとのライブプレイを行うなど、新たなテクノシーンを盛り上げる道具としてより一層のバージョンアップが進められている。

このように世界から集められた旬の電子芸術のトップが今、エンタテインメントと結びついているのは、メディアアーティストの成功スタイルの今の反映でもある。絵画や彫刻と違って作品そのものを販売することやコレクティングして展示することが難しいメディアアートにとって、今まさに生まれ続ける最先端のテクノロジーを魅力的に表現し、世の中に伝えるという、常に最先端を作り続けるということがアーティストにとっての仕事だということ。ライフスタイルにテクノロジーが溢れ変わり続ける今、その活動のフィールドが遂にミュージアムや研究機関を飛び出し、都市の中に増殖し始めようとしていう先駆けこそが今年における世界トップのメディアアートなのである。

シンポジウムが世界のメディアと知性を
アルスエレクトロニカに惹きつける

アルスエレクトロニカの世界への情報発信力、その中心はこれら電子芸術の作品を通じたものではない。実はフェスティバルにおけるもうひとつのメインの顔であるシンポジウムにこそ情報発信力の源がある。
毎年、アルスエレクトロニカ・フェスティバルには、フランスのル・モンドや英国のテレグラフ、国際クオリティペーパーのヘラルドトリビューン、米国の雑誌WIREDなど、それぞれの国や世界で発信力を持ったメディアが取材に集結する。(残念ながら、日本におけるメディアは日本一のPC情報誌である週刊アスキーだけなのだが)
彼ら一流の国際ジャーナリズムが求めるのは文章になる言葉や事象である。
アルスエレクトロニカ・フェスティバルは毎年それを的確に提供する存在として重宝がられているのだ。
フェスティバルのシンポジウムにおいてアルスエレクトロニカは毎年、先端技術がどのように地球規模で社会にインパクトを与えるのかを旬なテーマで、世界中からその分野の知性を招き展開している。すなわちアルスエレクトロニカをカバーすることで、テクノロジーがもとらす今と未来の可能性を考え提起することが可能なのである。

ポスト「著作権」の時代がやってきた

今年のテーマは「A New Cultural Economy」。
シンポジウムの企画者に西海岸と日本を舞台にインターネットによるメディアイノベーションをビジネスとして成功させ続けているベンチャーキャピタリストの伊藤譲一(近年では現在のBlogシステムにおける基本ソフトであるMovable Typeのビジネス化によるBlogの普及を成功させた)を迎え、インターネットの普及以降生まれた、新たな情報流通がもたらす文化と知財産業におけるドラスティックな変化を、様々な現場から紹介するとともに多様な議論が展開された。
ここで発表者として招かれたのは、インターネットによるビデオ共有サービスを用いて風刺的な政治メッセージを発信するアクティビストや、著作権管理組織に依拠しないコンテンツの活用手段の標準化(クリエイティブコモンズ)普及の推進者、中国におけるブログ文化の エバンジェリストはエバンジェリストです。ITの世界では普通の言葉です。 治すなら「エバンジェリスト(伝道者)」にしてください信奉者、インターネットを通じたキリスト教布教を推進する牧師など、多彩な顔ぶれ。そのためこのシンポジウムにおいてまとまった結論が生じることはなかった。しかし、国家の制度によって規定された著作権の枠組みではない、自由なフォーマットでの情報流通の手段であるインターネットやデジタルメディアから生まれた、ユーザーや表現者サイドがかたちでつくりだす知財の活用法が実に多彩でかつ、それぞれが独自の経済圏を形成し、まさにネットワーク上の集合知を中心とした新たな"Cultural Economy"が生まれていることが顕在化する現場であった。
例えばハーヴァード大学でサイバー法を研究する傍らフリーカルチャーの推進者であるElizabeth Starkは、フリーカルチャーとは全てを無料にすることでは無いという。デジタルメディアの進歩と共有手段の多様化によって、ユーザーとマスメディアとの垣根がなくなった今、ユーザーがマスメディアと同様に「フリー」なコンテンツの活用と伝達ができるようになることこそ「フリーカルチャー」であり、この「フリー」な状況下においていかに対価をやり取りできるのかを実践から世界中のユーザーが見出そうとしているのが今の状況であるという。
一方で、ブラジルの法学者であるRobaldo Lemosは、このフリーカルチャーの状況がコンテンツ製作者とユーザーにグローバルなダイナミズムを与えているという。インターネットも普及していないブラジルの地方では地元のアーティストのCDが無料で配布され、それでもビジネスになるという。なぜならCDを聴いた人々がライブに集まり、そのライブの収益がアーティスト活動になるというのだ。それはブラジル各地で存在するため、ブラジルにおいて国際音楽資本による国内歌謡曲の流通が活発では無いという。しかし、これらフリーのミュージックが、一方でインターネットを通じて世界に広がることによって、常に新たなビートを求める米国の音楽シーンから世界デビューする状況が生まれ始めている。そしてこのような各地のポップミュージックが今、地元コミュニティでの支持と、一方でのインターネット共有を通じた新たなコンテンツ資源の発掘によってグローバルなビジネスに化ける可能性があることを指摘した。

世界規模で広がるデジタルネットワークの時代、文化における最先端にひとつの結論を求めるのは無理である。しかし、このアルスエレクトロニカのシンポジウムは、世界で沸騰する先端の現実を凝縮し、沸きあがらせることで、今直面しているテクノロジーによる新たな社会へのチャレンジをグローバルに共有化できるステージを提供しているのだ。

小さな街のフェスティバルが生み出す世界規模のイノベーション

いつもは何の変哲もない地方都市が、街全体を日常から続くこれからの未来を見せる舞台装置とすることで、未来を求める人々が世界中から集まるフェスティバルが生まれる。
アルスエレクトロニカによる都市とメディアテクノロジーを結びつけることによって、来場者から生み出される「発見の種」は、また来年の開催までの間、世界のテクノロジークリエイティブと文化をすくすくと育んでゆくのである。
最後にアルスエレクトロニカの意義を理解する言葉として、芸術監督であるGerfired Stockerによる自己評価のことばで締めくくりたい
「これはリンツの街のためにあるものだけではない。アルスエレクトロニカに訪れた人々がそこで得たものが世界中で花開き、リンツという街の存在を大事にしてくれたら成功なのです。だから今のアルスエレクトロニカ・フェスティバルは大成功なのです」