最初の説明をするモデレーターのアンドレアス・ブロックマン(V2_協会)

PGOはグローバルシステムの補完者になるか

3/13 アムステルダム

→N5M3の山場のひとつともいえる、PGOディベートが巨大ライブハウスPARADISOで開催された。経済を中心に影響力を人々に与える事象や行動が地球的規模で展開され、国家を超えた存在すら 生まれるようになりつつある現在、非営利活動も同じく地球的規模でのオペレーションを実施することで真の自律した運動を実現することが出来るのではないかということで、その状態を定義するターム PGO "Post Governmental Organization" をもとに現実的にどう活かせるのかを 理解しようとしたイベントであったが・・・

 


トーマス・ケイナン


サスキヤ・サッセン


ケビン・ドウイング


 

 

まだ見えぬPGO

→最初に、世界各地からPGOについて一家言ある面々がパネリストに登場。PGOとはどういう存在なのかを各々語り始めたが、巨大NGOとPGOとの区別が見えないまま話が続き、ポイントであったPGOが誰でも創り得るものであるということがどうなのか分からなかった・・・

→巨大NGOは小規模NGOからの運動の結合によって結実されたと語る、トーマス・ケイナン/ニューヨーク市大教授。
  70年代後半から80年代前半にかけて生まれた飢餓や人権に対する世界各地に存在する問題を解決するため 外国から取り組もうとする非営利運動が、国家や国際機関では 成しえない活動を実現する "Post Government Coporation" として機能し始め成長したのが CAREアムネスティーといった巨大NGOだと説明、これら地球規模で行動することを結果として実現した巨大NPOの一層の成長の向こうに、よりグローバルで国家に干渉されない運動のかたちの視野が広がっていると説明した。

→シカゴ大教授のサスキヤ・サッセンは、地球的電子メディアネットワークの浸透によって金融経済や人間自身の社会活動がグローバル化し、国家とは異なるグローバルシステムが生まれていると語り、市民の側からグローバルシステムを補完する存在が必要であると提言する。その補完する存在を「デジタルアクター」と呼び、デジタルメディアを戦略的に活用することで自身も グローバルシステムとなり得ることを示唆した。

→ ジャーナリストのケビン・ドウイングは、国際機関的側面で認知されている幾つかのNGOは、国家権力機構と深くつながり、怪しさこの上ないと語る。例えば、WWF(国際野生動物基金)の組織構成をのぞくと、英国では旧植民地統治関連の組織につながっていたり、米国では CIAにつながっていると提示する。世界の各国家と深くつながったグローバル NGOは、別の国際政治システムになってしまっていると語るのだ。

→ブダペストの「開かれた社会」財団 Open Society Institution (OSI)で東欧のネットワークメディアをサポートする部門を動かしている、 エイドリン・ヘテランは、旧共産圏の政府が出来ないことを提供している PGO的存在として、各地でメディアやネットワークのためのサービスやノウハウを提供する場を持っているということを説明し、住民独自のメディアやネットワークプロジェクトを生み出していることで活きた事例とした。

 


英国のWWFは旧植民地統治組織の人脈につながると、人脈図を見せながら語る、まるで広瀬隆みたいなドウイングのパネル。


エイドリン・ヘテラン

 

とにかく煮え返らなかったPGO論議

→これらの説明をもとに、聴衆を交えての討論となったが、何がGPOなのか煮え繰り返らない部分がそのまま出る結果となった。

→ 「巨大NGO、そしてNPOというものは、メンバーの意思は反映されるが 国家を取り払ったことで民意が反映されない、グローバル官僚組織に しか感じられなく、不快にも思える。まるで、構成国家の国民が直接的に民意を反映することが出来ない、EUという「官僚連邦」と同じに見える。」 アクティビスト(アムステルダム)

→ 「PGOは西側の「民主的」「資本主義的」考え方の押し付けではないか」

→また、香港をベースにグローバル企業の労働搾取を訴えるNGO、 アジアマージナルの活動家は、こう質問をしめた・・・
  「問題を解決したいという純な動機からNGOが生まれ、活動しているのに、 PGOとなると政治や経済へのコミットメントが多く垣間見えて不純だ」

→それに応えて、今回の司会である、 ロッテルダムV2協会のアンドレアス・ブロックマンは、
  「金融のグローバル化、国際化する社会問題、グローバル企業の台頭などの結果、全地球的なモラルパニックが起こっている。それを解決するための グローバルなオルタナティブが無い、だからこそPGOなのだ」
 
と語り、N5M3の企画の中で同じく悩み、PGOをそのカバーしなければならない問題にかけて "Post Globalize Organization" と呼ぶべきかもしれないと思ったことを 発言した。

→また、パネラーの一人は、 「やはり未だ、PGOの概念は乱れている」と語り、「CARE などの巨大NGOは やはりPGOだよ」と混乱さを露にしていた。

→ その後、パネラーたちが唖然とした、 「PGOプロジェクト・プレゼンテーション」の幕が開かれた  >>>続く・・・

 

取材・編集・デザイン:岡田 智博  futurepress@coolstates.com

 

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