|
世界最強まりのユーロなリゾームメディア Xchange →北はラトビアから南はオーストラリア(リアではないよ)まで欧米20近くのインターネットラジオ局マスターたちがブルックナーハウスに集結、アルスエレクトロニカ・フェスティバル前半の INFOWAR 強化期間の3日間をノンストップ・コラボレーション放送(というよりも合宿)で疾走した。
|
||
|
■
.net
部門第2位の展示はマスター総出のノンストップ放送
→巨大クレーンに吊るされたスピーカーがバカっぽさを添えるドナウ河の雄大な流れを望むブルックナーハウスのホワイエ。整然に何十台ものコンピュータが並ぶ openX のブース群の横を見ると、雑然とケーブルが這い上がる上り階段が見える。そこにはXchange の張り紙が・・・ 階段を昇ると、そこには無造作にのたうちまわるケーブルに埋め尽くされた床と、雑然と並べられたテーブル、その上にはあまたのPCと音響用ミキサー、それにアミーガによくわからない剥き出しの機械の数々・・・ 老若男女、まるでクラブやアトリエにいるときのようなラフないでたちで、嬉々と端末をいじっている。画面にはリアルビデオのエンコーダー、突っ立ってると「生エンコーディング中だから触るなよ」の声、ここは3日間ノンストップ・ネット放送コラボレーションを実施中の Xchange たちのスタジオなのだ。 Xchange はポストペットとともに .net 部門で第2位になったプロジェクト。いつもはメンバーそれぞれのホームタウンで放送している彼らの姿そのものを他の受賞作品のようにこれですと、リンツで見せるわけにもいけないので、メンバー勢ぞろいでフェスティバル期間中に Xchange 流にアルスエレクトロニカ・フェスティバルを現地から放送しようというもの。openX のネットプロジェクト展示の一つとして、リンツ市内に張り巡らされている100Mのメトロポリタン・ネットワークに直結、アルスエレクトロニカセンターを通じてインターネットに接続し、それぞれのサーバーとイベント用の特設サーバーに送り込まれた。このネットラジオ・マスターたちにはたまらない環境の中で、いつもはネットでやりとりしている仲間たちと和気藹々と作業を楽しむのであった。
|
||
→これから紹介するインターネット放送を楽しむためにはG2以上のリアルプレーヤーが必要です。入手のためにはここをクリックしてください。
|
■
欧州ではネットラジオはアートである
→Xchange とは、スターリンによって第2次世界大戦中に併合され、ソ連崩壊の火付け役となったバルト3国・ラトビアの首都、リガに住むラサ・スミテ氏 Rasa Smite (1969生れ)が1997年に提唱したオルタナティブ・ノンコマーシャル・ネットワーク放送局を世界規模で結びつけるプロジェクト。ノンコマーシャル・ネットワーク放送は、社会性を持ったメディアアートの1つの手法として全欧州的に根付いていたが、ネットワーク放送をそれぞれの地域で行っているアーティストたちの結びつきは、それぞれが勝手にやっているかのような希薄なものがあった。 →ノンコマーシャル・ネットワーク放送の欧州でのアートとしての地位の高さは、欧州独自の背景がある。 西欧では、社会一般の文化的寛容さと裏腹に、国営放送主導による限られた数しかないメディアの存在の中で、個々の表現を実現したり、メッセージを伝達するための手段として、フリーラジオやzine(自主制作紙メディア)といったオルタナティブメディアをつくる活動が盛んであった。これらの背景から、ディストリビュートされるコンテンツは、芸術性あるいは社会性もしくは文藝性に富んだもの=アートととしての存在ととられていた。 一方、東欧では、全体主義に対抗する表現手段としてオルタナティブメディアが機能しただけでなく、そのノードにあった存在こそがアーティストやセオリストであった。彼らをノウハウやモチベーションの面で支えたのこそ、メディアムーブメントの先達であった西欧のメディアアクティビスト・アーティストであった。
この時期(90年代前半)、インターネットが研究室から街に出始めた時期でもあった。既にひとつのメディア・チャネルとして BBS を用いていた西欧の彼らは、今までしていたことがインターネット上で全て可能となるだけでなく、地球規模での伝達が可能でかつ、膨大な情報量を取り扱え、アーカイブ化することも容易であることを気づき、急速にインターネットを用いるようになった。それだけでなく、全欧的なコミュニケーションを加速することとなった。そして、東欧では直接、インターネットによるメディアプロジェクトへとふれる傾向が高まり、この地域においてインターネットを用いたメディアアートを盛んにするきっかけとなった。 その象徴といえるのが、政権維持のプロパガンダとして機能する既存のメディアに対抗し、総合ラジオステーションをパフォーマンスしたユーゴスラビア・ベオグラードの B92。結局、政府の手によってつぶされたが、全欧的なスペシャリストたちによるコラボレーションでリアルオーディオによるネットステーションとして復活、その存在を世界にアピール、ユーゴスラビア政府は正式にラジオ放送免許を与え直したというストーリーがある。同様のストーリーが今はアルバニアで芽生えようとしている。政府が統治能力を失った国で人々の判断材料や生活の糧となるメディアをアーティストやセオリストたち自身で立ち上げようと、そして無からの立ち上げをアムステルダムのヘアート・ロフィンク氏 Geert Rovink などのスペシャリストたちがサポートしようと。 この様な動きの中で、ノンコマーシャル・ネットワーク放送は自然な表現のかたちとして定着していったのである。しかし、一部のオルタナティブメディアをつくり、育てることそのものをメインの活動とするメディアアクティビストを除くと、ステーション同士が表現そのものやノウハウの蓄積、もしくは親交を深めるために広くネットワーク化することは無かった。 それよりも、彼らにとってあまりに自然な表現手段であったため、意図的にネットワークを組むほどのものではないと考えていたのであろう。 →日本のことを触れるとしたら、ノンコマーシャル放送がアートとして確実なかたちで認知されたのは8年ほど前にあった、九州芸工大出身の松尾晴之(ハルユキ)氏(現・福岡市在住ピクニックマニア)と八谷和彦氏(現・ペットワークス代表ほか)による SMTV 『実験テレビ・カンパニー』位であろう。SMTV が認知されたポイントは、有栖川公園などでのハプニング的な(「液晶テレビを持って来て下さい」というフライヤーをクラブ等で播いた上での数時間限定の放送)仕掛けと、他はしなかったテレビという斬新さ、そして何よりも放送内容が極めて作品性が高いだけでなくポップなものであった(素直に楽しかった)という、当時の日本のポピュラーカルチャーとコンテンポラリーアートの文脈に「はまった」ものであったからであった。それを自然に出来たのが彼らだけであったということでもある。 社会に立脚する欧州のノンコマーシャル放送、そしてパーソナリティーに立脚した日本。この差こそがオルタナティブメディアに対する認識の差にもつながるのではないのだろうか。
|
||
Xchange ポータルページ http://xchange.re-lab.net/ |
■
極北のバルトからユーロをまとめるどえらさ
→どうも個々をみるとオレを含めて技術的に表現的に試行錯誤だらけみたい、みんなで話せば一人一人のためになることが多くあるんじゃないかな。それだけでなくいろいろと面白いこともうまれてくるんじゃないかな・・・ 昨年、スミテ氏はこんな呼び掛け(要約すると)から Xchange のプロジェクトを始めた。それはまさにWebデザインの黎明期に「日本のウェブサイトデザインの質的量的な向上に寄与する」ことを掲げ、クールサイトとは何かを探求し続け今や、日本におけるクールサイトの認定機関と化したWDCの始まりをだぶらせて考えると分かりやすいかもしれない。ノンコマーシャル・ネットワーク放送が大いに盛り上がる欧州であっても「メディアアーティスト・アクティビストととして連帯しよう」と呼び掛ける人はいても、「ネットラジオをうまくデベロップするために語りあおう」というひとが今までいなかったのである。 その呼び掛けは瞬く間に全欧に伝わり、主だったネットラジオ(オーディオ)ステーションのマスターたちがメーリングリストを通じた、論議の輪に加わった。「実は僕たちはフェスティバルとか、メーリングリストとか、何かの紹介とかで会っていたり、よく知っていたんだ。だからすぐ立ち上げることが出来たのさ」と実際のところをスミテ氏は語る。「ただ、一緒に何かという話が今まで無かっただけだよ」 →実際、新しい技術が常に実用化され、一方で基礎的にも特殊な技術を要するネットラジオを運営するレアな存在にとって、相談する相手がいなかったのは事実。それはまさに「中心的な欧州圏からまだ隔離されているところで欧州をまとめるどえらい彼女」とヘアート・ロフィンク氏が評するスミテ氏にとっては一層の孤独感となってかえってきたのだろう。そしてまさに、たまりにたまったものを吐き出すかの様に積極的な論議とノウハウの共有化がMLを通じて行われるという結果をもたらした。しかし、スミテ氏は単なる情報交換だけに
Xchange
を終わらせなかったのである。 →このことにどんな意味があるのか、今回、グランプリにおいて2位の位置に置いた審査団はこう説明する。 「異なる状態にある表現者たちが世界規模で手に手を取って高みにのぼって行くことがインターネットによって実現できることを体現してくれた」 |
||
ロフィンク氏をたしなめるスミテさん
|
■
Xchange
の仲間たち
→今回、実際に顔をそろえてコラボレーションをする Xchange の仲間たち。特に愉快な何人かを御紹介しよう。 →編成表を片手に仕切る小柄な美人はラサ・スミテさん。openX を仕切る、欧州メディア・アクティビストのビッグブラザー、ヘアート・ロフィンク氏が「コゾホのテクノに、ミーンスキーのMC、それに・・・ ノッてきたからオンエアしていい」と嬉々として割り込むと「編成に入っていないから駄目っ」と返す。「局長には従わないとね」とロフィンク。3日間、休まずよくがんばった。 →「音、入れていかない」と声を掛けたのが
トーマス・カルマン Thomax Kalmann
氏。バンゴッホTV
(VAN GOH TV) など、オルタナティブ・ステーションのプロジェクトを長年ベルリンで続ける、くまさん的風貌のカルマン氏。Xchange
にはRadio International
Stadt でコントリビュートしている。実は、このステーションもグランプリの佳作
Honorary Mention
に入っている。 →アミーガやらがわ剥き出しのミキサーやらをハンダがけする2人に声を掛けると、オーストリアのグラーツとスロベニアのリュブリアナと離れた街でネットラジオコラボレーションをする XLR の2人。XLR はさらにベルリンを結んだプロジェクト。「そんなに離れたところでどうやってコラボレーションしているの?」と聞くと「メールもあるし電話もあるしそれは全然関係無いよ」とさらっと答える。 →後ろからは「日本に持っていって聞いてよ」とホワイトジャケットの12インチを手渡される。「テクノ作って、ネットラジオで流してるんだよ」とはきはき話すナイスなお兄さんが・・・ 「今回はいつも働いている ORF(オーストリア放送協会)も Xchange と一緒に普通の番組とネットラジオもするから、こっち側だけどね、じゃあ〜」と話して、ヘッドホンを付け直してキュー入れする。 →他にも、ロンドンから、アムステルダムから、ブダペストから、オーストラリアから、大阪からなど、世界中から自分たちのオーディオや番組を持ち寄って集まった。フェスティバル本部が Xchange に設置したLAN接続、Realおよびミキシング系ソフト搭載の何十台もの端末を自由に使って、持参した機材をLANにダイナミック接続、身ひとつで参加出来るようになっていた。
|
||
|
■
media
as usual なラジオは今日もネットを駆け巡る
→このごろヨーロッパでは、アルスエレクトロニカだけでなく、オンラインメディアのマスターたちが実際にある場所に集まって、コラボレーションをしようという試みが盛んになってきている。今回の Xchange の連続放送に招待されたマスターやアーティストたちは、会期中のホテルの提供と現金2000オーストリアシリング(約2万4千円)だけの条件で快く集まって来ている。 「このごろ、オンサイトのメディアセッションが増えてきたけど」と、言葉を投げかてみる。聞く人、聞く人、いろいろな人と再び出会えたり、ワークしたりすることが出来るから興味が向くかぎり参加したいし、気軽にしていると返ってくる。カルマン氏みたいに「始めたいと思っている人に、どうやってするのかを一緒に知ってもらうにはいい機会だから、知りたいということなら力を入れて参加するよ」という意見も多かった。したい人にノウハウを教えることに寛容なのは、欧州のオルタナティブなネットキャスターに共通した点である。背景には、先にあげたように、伝えることそのものがパフォーマンスでムーブメントであるという軸があることだろう。だから、より伝えること、伝えあうことが出来る人が増えることはとっても嬉しいことと、Xchangeのコミュニティーにいるブロードキャスターのみんなは感じているのだ。 しかし、オルタナティブでしているということは自活して、そして、ベースと離れたところで不定期に行われるフェスティバルやイベントに参加できるアクティビティーはどこにあるのだろうか。その問いはコラムの項で解いてみたい。
取材・編集:岡田 智博 レポート・編集・イメージワーク■ 岡田 智博 futurepress@coolstates.com
|
(c) OKADA, Tomohiro, The Cool States Communications, 1998