OpenX のプラン図 foto: Ars Electonica Center 提供 注:写真・映像のクレジットの無いものは全て著者によるものです
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openX の X な面々 →98年のアルスエレクトロニカの目玉であった openX。100Mbpsのリンツ市街メトロポリタンネットワーク(出はオーストリアテレコムとドイツ・シーメンス社)と直結した100以上のインターネットLAN接続をブルックナーハウスのホワイエに用意し、世界中のネットワーク上で活躍するアーティストやアクティビストを自由に参加させ、それぞれの取り組みを見せ合い、また、コラボレーションする現場である OpenX には今までもあげたようにそれぞれ活躍中の個性的な面々がちゃんと集まっていた。1週間の会期でありながら前半3日しか存在していなかったという残念さは残るが、私にとっても大いにのまれっぱなしであった面々の素顔をここでは取り上げたい。その素顔を通して、欧米におけるメディアアーティストの日常を感じていただければと思う。
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ネットワーク時代の羅針盤となったアーティストたち
→今年のアルスエレクトニカのテーマINFOWARの部分を担った、ブルックナーハウスを中心とするメディアプロジェクトをかたちにした若きディレクター、ゲルフリート・シュトッカー氏はアルスに先立つこと1ヶ月前にフロリダ州オーランドで開かれた世界最大のコンピュータ・グラフィックスの学会総会・SIGGRAPH98で新しいテクノロジーと表現者・思想者と社会との関わりあいについて先のように語った。 →これからコンピュータが社会システムにも個々の人体システムにも深く入り込むことでしょう。その結果、どの様な社会や生活が存在し得るかというのは、今からでも技術や人文科学、そしてアートの側面から考えていかなければならない問題です。来るべき時代のために。ただその時代が極めて近い未来であることが容易に想像できます。今や文化や社会創造の羅針盤であった、哲学やアートが、速すぎる技術革新に追い付けない現状がもはやあるのです。 多くのアーティストやジャーナリストなどの表現者が、今、この大きな変化に対峙し、自分の道具とするための実践を求めるようになりました。私たちはコンピュータという道具に表現者があわせるのではなく、表現のため、そして社会に対するイノベーティブな提案のための道具として、コンピュータが使えるようにするための支援を行なっています。私たちだけでなく、欧州各地でこのような取組みが存在し、相互に連携をとりあい、支援や表現者に対して活用に対する提案を行なっております。 SIGGRAPH98・アートショー会場にて
ゲルフリート・シュトッカー →そしてリンツ。ネットワーク時代だからこそ可能なメッセージの伝え方、情報伝達のかたちにいちはやく挑んだアーティストやジャーナリストたちがアルスエレクトロニカが彼らのためにデザインしたネットの巣窟・openX に集い濃い一週間を共有し、ネットワークプロジェクトのグローバルなノードのひとつをにわかにつくりだしていた・・・
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裏コモンウエルスと体でおぼえる恐怖政治
→ガラス張りの吹き抜け、澄み切った秋の光とドナウ河のとうとうとした流れと緑が心地よい借景を見せるブルックナーハウスのホワイエ。整然と並ぶテーブルブースにコンピュータ群。まるで近未来のオフィス像を提案するかの様にも見える景色かといえば、それぞれのモニターは同じものを映さず、様々なパターンを映し出し、一人一人の姿も同じものではない。傍らのベンチには金髪の恵比寿様かともいうべき風貌のおじさんがはちきれた腹の上にTシャツをまとい、その隣ではスーツに身を包んだ中国人の集団がひそひそ話。別のベンチに目を転じると VAIO505 とHPとあと何かのノートPCにそれぞれ何かを打ち込む人たちの姿。VAIO は伊藤穣一さんだった。と、さながらネットワーク・アートの十字路とも言うべき openX の日常空間。 →その中でいつも人だかりが出来るブースがひとつ。「岡田君、これ、おもしろいよ」人だかりの中から一目でわかるトレッドヘアをたくわえたデジタルハリウッド杉山知之校長の手招きが。行ってみるとそれぞれの人の顔を他の人種の顔と縫い合わせるCGインスタレーションが。 →少し行くと、巨大プロジェクターを前に筋肉トレーニングマシーンが置いてある。プロジェクターにはCGで描いた欧州地図が・・・ →それぞれのプロジェクトが存在する英国とオランダはまさに、どのようなことであれ人権意識が血肉にまで入り込んでいる国柄。だからこそ人権そのものをモチーフに刺激を与えてくれる表現を成り立たせてくれるのだろう。パロディーやフィットネスという表現手段は多くの人にはっとさせ、心に残してくれるのだ。まず「学習」することとちがってあくびは出ない。プロジェクトそのものを評価して認めるところが違っているのだ。
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脱サラするオルタナティブファンドマネージャー
→次のブースに足を運ぶと、colimn
2 で紹介した RTM
ark社の2人が「トレードショーブース」を構えていた。CG仕立てのカンパニープロモーションビデオを前に、スーツ姿の2人がPCを用いてファンドの説明にあがる「これはハイコストすがイールド(予想利息)は全くありません。しかし大いに投資対象が投機先を難儀させるでしょうから楽しめます」と、まるで投資信託会社のカウンターそのもの。 もとはといえばこの2人、ニューヨークでプログラミングや Web の製作を仕事でし、仕事のかたわら RTM ark をしてきたもの。「ニューヨークだから作ろうと思ったらすぐつくれるのさ、ビデオプロダクションにプロパガンダ、グッズ、表現に必要なものは全てさ」と語る。ちなみにより一層 RTM ark の活動に注力するため、リーダー格の一人は稼ぎのいいサンフランシスコに居を移した。 メディアを操ることそのものを作品化するポリティカルアートの新星たちを「ファンドマネージメント」だけで食べさせてしまうとは、アメリカのアートコミュニティーのポップさにただよろこびと思わざるを得ない。
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天職はアーティスト・収入は契約社員です
→OpenX の舞台になったブルックナーハウスのホワイエの上のデッキを陣取るのは report02 で紹介した Xchange プロジェクト。そのメンバーたちの素顔はといえば・・・ →バンゴッホTV (VAN GOH TV) など、オルタナティブ・ステーションのプロジェクトを長年ベルリンで続けるくまさん的風貌のトーマス・カルマン Thomax Kalmann 氏。ネットワーク・オーディオ・コラボレーションプロジェクト・Radio International Stadt によって98年のグランプリでも佳作を受賞した氏であるが、日常はエンジニアで生計をたてている。同じようにオーストリアのグラーツとスロベニアのリュブリアナと離れた街でネットラジオコラボレーションをする XLR の2人もそれぞれ、フリーの放送技術者とプログラマー。「フリーの方がやりやすいよね、何かプロジェクトやフェスティバルがあってもすぐに駆けつけてすることが出来るからね。ヨーロッパの中だったら車に機材を放り込んですぐさ・・・」と XLR の2人は語る。他の人にもフルタイムの職につきながら、プロジェクトに参加している人もみられた。その中の一人は「プロジェクトやイベントに参加することも事前に日程を調整すれば休めるから、活動に専念しないとということはない」と語る。 →他のことで生計をたてていてもアーティストとして認められ、活動を続けて行ける環境がそこに存在していた。
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ポポトラ村タイタニック仮設スタジオの「慇懃無礼な壁」にペインティング foto: RTMark
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インフォウエポン炸裂か?
→実はこの openX 、裏的部分が存在していた。その裏 openX こそ、ClosedX。そこには「ハッカーとアーティスト、そして普通の人たちとのふれあい」ができるヨーロッパとアメリカから集まったハッカーたちの合宿テント、その名も「ハッカーテント」が100Mネットアクセスでドナウ河畔に設置されたり、そのハッカーたちとネットワーク上でのアクティビストたちが語る裏シンポジウム "ClosedX"、そして「情報社会の中で最も効果的に『闘争』を展開したムーブメント」を選ぶ「インフォウエポン・コンテスト」が行われていたりしていたのだ。 →フェスティバル開催2日目の夜、グランプリ慶祝のパーティーが特別放送が行われたORFリンツ放送局にて行われた夜、openX には「ハッカーによるパーティーを開くから遊びに来ないか」というフライヤーが貼り出されていた。 慶祝パーティーが散会になった後、ドナウ河畔のテントに向かう。赤十字マークの難民キャンプを彷彿させる本当のテント、これが「ハッカーテント」。やけに静かなので「終わったのかしらん」と思いながらとりあえずと入ると、終わったのではなくてその最中。何で静間に帰っているのかと思えばテントの中にひしめく何十台ものPC端末にくぎづけになって打ち込んでいるのだ。確かにこの場の人々にとってはパーティーではあるのだが・・・ →その翌日貼り出されたフライヤーは「インフォウエポン・コンテスト」の開催を高らかにアナウンスしていた。 →「インフォウエポン・コンテスト」はへアート・ロフィンク氏のアイディアをもとに始めたもので受賞者には1000US$が渡される予定であった。今年のシンポジウムとシンクロするインターネット上のシンポジウム「ネットシンポジウム」でエントリーを開始、開催イベントの前に受賞者は決定していた。その受賞者とはRTM arkの最新案件のメキシコ・ポポトラ村の村民たち。本当に田舎の漁村にいきなり映画「タイタニック」のスタジオがやって来た。そしていきなり何の挨拶も無しに囲いを作って厳重な警戒を初め、静かな村が一転そうぞうしくなった。しかし、村にはいいこと何一つ無いどころかなぜか漁は不作になるは、感じ悪いわで迷惑至極。それに怒りを感じた村人は、囲っているの慇懃無礼な壁にペインティングをするなどささやかではあるがちくりちくりと素直に抵抗を始めた。これを RTM ark は案件発掘、RTM ark流のメディアキャンペーンで全米のニュースにしてしまった。そんなポポトラの人々の健闘を賞したもの。その背景には、RTM ark が切り拓いたエンターテインなメディアコンフリクトのスタイルが後押ししたことも忘れてはならない。 →フェスティバルの後、東京にやって来たロフィンク氏のトークセッションでの発言「オルタナティブはもはや存在しない」に何かの示唆を感じさせる結果ではなかったのだろうか。 →しかし、私が駆けつけた会場で起こっていることは、そんなのほほんとした授賞式の姿ではなく、殺気立っていた雰囲気であった。ニューヨーク大学からエントリーしてきたグループがノミネートした「CIA、メキシコ大統領府、フランクフルト証券取引所をネットボイコットしよう」という試みが今、なされようとするかしないかの話し合いがなされていたのだ。目的はメキシコ政府が現在行っている抑圧に対するボイコットで、ターゲットはWEBサイト。このボイコット活動がアートだというのだ。すごすごと入ってきた私をヘアート・ロフィンク氏は見つけ真顔で語る「トモヒロ、これがリアルなプロジェクトだ」と。結果、ボイコットは起こらなかったのであるが、前後数日間の「ネットシンポジウム」メーリングリストには「メキシコ政府のエージェントがやってきて圧力をかけられた」など生々しい記述で溢れていた。名の通ったメジャーなフェスティバルで実際に政府規模を相手に「ポリティカルアート」を電子空間上で企図して世界的に反響を巻き起こしてしまった最初の例ではないのだろうか。ボイコットの意味やこれをアートと呼べるのかについては私自身では懐疑的ではあるのだが、日本でとつぜんこんなことをしたら何人の首が飛ぶのだろうかと思ってやまなかったし、これはやりすぎなのだが思いきったことをしないと付き抜けて価値あるものなど生まれないだろう、作品だけでなくて、イベントの品質としてもと大いに思った一幕であった。 →人を平素の職業や食い扶持ではなく、取り組む姿勢や作品、思想を通して評価をする欧州のメディアアートの現場。この現実が生活に密着しつつも多様な世代が継続して、活動を続ける素地として厚みのあるシーンをつくりだしていることを深く感じさせる出会いであった。 →そして、この生きる現場としての日常の中で、アートコミュニティーとの関係を全欧州的に関わることが出来るツールとして、電子メールやその派生であるメーリングリスト、WEBの存在が無くてはならないものになりつつあるどころか、より密接につなぎとめるツールであるということをほとんどのXな参加者たちが認識し、語っていたのであった。
取材・編集:岡田 智博 レポート・編集・イメージワーク■ 岡田 智博 futurepress@coolstates.com
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(c) OKADA, Tomohiro, The Cool States Communications, 1998-1999